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それから僕は研究所に来たときには必ずナノと会うようになった。 大抵は外にあるものとか、外であった事とか他愛のない話をして、適当にじゃれてから帰る。 人型のときはいつも裸の僕に最初は所在なさそうだったけど、最近は慣れたみたいだ。 ちゃんと眼を合わせてくれる。 でもいつも少し顔が赤いんだよね。「大丈夫?」って聞いたら「気にするな」って言うから、心配だけど何も言わないことにした。 誰にでも言いたくない事くらいあるもんね。 ナノは小さい時に孤児院から連れてこられたんだって。 今のニホンは軍事力を上げるためならどんなことでもしちゃうもんね。 このENEDにもたくさんの子供たちが収容されてる。 より強い兵士を創り出すためだ。 毎日毎日薬飲まされたり、コードに繋がれて検査されてたり。 でもそれはまだマシなほうだと思う。 僕とかナノとか、ENEDでも最深部で行われてる研究では、実験体の自我を取り除こうと躍起になってるんだから。 いつだってオトナはコドモに都合を合わさせるんだ。 子供同士のケンカに大人が介入するのは野暮でしょ? じゃあなんでオトナ同士のケンカにはコドモを引き込もうとするんだ。 今、ニホンの子供は一人の例外もなく兵士となるための教育を受ける。 『敵を殺せ。躊躇するな。逃げようとする仲間も殺せ。死ぬことを恐れるな。たとえお前らが死んでも代わりがいるから、安心して死んでも大丈夫だ。』 全国民の兵士化。今の教育制度の基軸だ。 銃の構え方。 銃の撃ち方。 人の殺し方。 モノクロの戦争映画。 痛みの殺し方。 人格の殺し方。 自分の殺し方。 命の軽さを教える教科書。 仲間を見捨てることを教える教官。 素直に吸収する子供たち。 ニホンは栄華を極めたその絶頂にいる。そして貪欲でお馬鹿な大人たちはその先の腐敗に目もくれない。 例えば熟しすぎた柘榴がはじけて中身を撒き散らすように。 肥大しすぎた組織は摩擦を生じ、その綻びから崩壊が始まる。 自業自得というよりは、それが僕の世界に対する真理であり持論なのだけど。 僕はナノのひざの上に横座りで乗っている。最初の日から、ここが僕の定位置だ。 綺麗なナノの顔が近くで見れるし、たくさん撫でてもらえる。 ナノは僕の耳と尻尾がお気に入りみたいでよく触っってくる。くすぐったいからやめてほしいんだけどなぁ。 「ナノは、この研究所をどう思ってるの?」 暗に逃げないの?と聞いたつもりだ。 何も考えてないように見えるけど、ナノはとても頭がいい。だから、ナノはもちろんその意図にも気付いてくれる。 ナノは長い睫毛をそっと臥せて、暫しの沈黙の後に口を開いた。 「……今は、まだ。」 「何でなの?ナノだってここ大嫌いでしょ?感情だってなくした振りをしてるだけじゃん。」 研究所の人間はナノが既に感情を失くした兵器だと思っているけど、そうじゃない。 確かに感情の触れ幅は小さくなっているけど、ただ深いところにあるだけだ。 それだって凄惨な戦場で自分を保つための自己防衛なのは知ってる。 最近は少し笑うようにもなったし、外の話をしたらふとさびしそうな表情をすることもある。 ナノがここから出ようと思えば、止められるのなんて僕くらいだと思う。 「エマ、という女がいる。」 エマ?確か僕のことをナノに教えたって人だよね。 「彼女はとても優しい。俺に、兵器としてではなく、人として接してくれている。……そう、俺を、愛していると言ってくれた。」 「……その人もENEDの研究者なんでしょ?」 「そうだ。けれど、彼女は優しい。俺も、彼女を好きだと思う。」 溜息が出そうになった。 ナノは純粋すぎる。 それ自体はとっても良いことなのだけどね。けれどここでは致命的だ。 ここは僕ががんばるしかないかな。エマの真意と周りの状況を探らなきゃ。 「ねぇねぇ!僕もそのエマって人に会いたい!」 無邪気な笑顔を貼り付けて、僕はナノにお願いした。 年相応に甘えているように見えるように。 ナノは少し眼を見開いた。僕がそんなことを言い出すなんて思っても見なかったのだろう。 僕がここが嫌で逃げ出したことを知っているのだから。 「しかし、お前はここの者から追われているんだぞ?」 「大丈夫だって〜。だってナノはその人を信頼してるんでしょ?」 「だが……」 「僕もナノが好きな人見たいし!ねっ?」 錆びた声でゆっくりと反対するナノの言葉を遮る。 ナノは人の心に敏感だ。 この人に嘘を付くのは、訓練されていても至難の業だ。特にアイジョウとは偽りが難しい。 そのエマがナノのことを本当に愛しているとしても、それを周りはどう見るか。 僕ならば利用する。愛はとっても単純で、でも重い枷だと知っているから。 「その人、僕のことも好きになってくれるかな……」 これは少しの、僕の期待の気持ちだ。嘘を通すには、その中に真実を織り交ぜることが効果的だから。 偽りの目的を、真実の理由で逸らす。 「あのね、僕の母さん、僕が産まれたせいで狂ったんだって。」 案の定、ナノは僅かに苦しげな顔をした。 それに罪悪感を覚える。 「僕、産まれてからずっと暗い部屋にいたんだ。小さな窓があって、電気はつかないけど広い部屋。昼間でも薄暗かったよ。」 でも僕はナノのことが大好きで、大切で。 「本がたくさんあった。それしかなかったんだけどね。今思えば、あれは父さんのだったのかな。母さんは今施設にいるんだって。父さんは知らないけど。」 彼が傷つくのを見たくないから。そのかわりに僕が傷つく。 「好きだって言うのは分かるんだけど、好かれるってどういうものなのか、分からない。……思うに、女の人の柔らかい愛情っていうの?そういうの。父親的なっていうか、兄弟的な情はナノからもらってる気がするし。」 この人並み外れた知能と身体を擦り切らしてでも、ナノの心を守りたいんだ。 自己満足だって、分かってるけど。 「ね?僕、エマに会いたい……」 ナノは不承不承ながらも了解してくれた。 まだ心配そうに考え込んでるけどね。 ごめんねナノ。心配してくれてるって分かるんだけど、これは大事なことなんだ。 にしてもこんなに素直に騙されてくれるなんて……色々と心配だよ。 「父親的なっていうか、兄弟的な情はナノからもらってる気がするし。」 この子はいきなり何を言い出すのか。 自分が貴重なサンプルだと見なされていることくらい分かっているだろうに………! なぜか俺は必死だ。この子が心配でたまらない。 この子供は愛情に飢えているのだ。言動は大人びていても、まだたったの6、7歳なのだから。 訓練によって極限まで感情を抑えられた俺が、この子をとても大切に感じる。 もしかすれば、エマに対するものよりも強いかもしれない。 この子が望むなら、本当の家族になってもいい。俺とエマと、この子と。 ………重大なことに気付いた。 俺は、まだこの子の名前を知らない。 「……お前の名前はなんだ?」 子供はきょとんとしてうーんと考え込んだ。何を考えているのか、黒い毛に覆われた耳がピクピク動いている。 ………可愛い。 やがて子供は言い辛そうに口を開いた。 「えっとね、たぶん無い。」 「……はっ?」 予想外の答えに理解が遅れた。 「研究所ではn2って呼ばれてるみたいだけど。少なくとも記憶してる分には、名前呼ばれたことが無いから……」 戸籍も無いから住民番号さえ無いと、俯いて小さくつぶやいている。耳もぺたりとして、尻尾も心なしか元気が無い。 戦闘兵器として育てられた俺にも名前はある。 ここではNicol‐Premierもしくはn(NoName)で通っているが、真実の名前は俺の拠り所だ。 顔も知らないが、親がくれた名前だと。 これまでこの子供はどうやってバランスを保ってきたのか。名の無い不安定な状態は、心細くは無かったか。 気が付いたら、膝の上の温もりをぎゅっと抱きしめていた。 まるでその存在を確認するように。 「俺がつける。」 「え?」 「俺がお前の、名付け親になってやる。」 膝のうえの子供はゆるゆると顔を上げて、呆然と俺の顔を眺めた。 正面から大きな緑色の瞳を見据える。人間のものと違って瞳孔が縦に裂けた、獣の瞳。 自然と唇が緩んだ。 「そうだな……今日からお前はだ。」 「…?」 「そう、だ。当て字は『』。これは、を意味する。」 「そっか…………」 確認するように、何度も口の中でつぶやいている。 なぜ名を与える気になったのか、自分でも分からない。 何らかの形でこの子を繋ぎとめたかったのかもしれない。 もし、ここを抜け出して自由になったら。 その時は、ともに寄り添って家族のように生きるのも悪くは無い。 自然にそう思えた自分に少し驚いて、そして心臓に熱が篭もったように感じた。 ++あとがき++ 2006年3月6日、加筆修正しました。 |