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あの白い部屋から逃げ出して半年くらい経った。 今は街の道端の子猫をしてる。 あれから色々調べた。 あの時の僕は薬で思考能力が制限されてたから、自分の状況がよく分かってなかったんだ。 そのままにしておくのも気持ち悪いし。 そのために、この体質が役に立った。 小さな子猫の姿で行けば監視には見つかりにくいし、逃げやすい。 今日も研究所の奥深いところまで進入して、機密用データが入ったPCを立ち上げる。 自分のデータを捜した。 あの大人たちは、僕をなんと呼んでいたっけ。 あぁ、n2かな?あの日、僕をnと似ていると言ってたし……それ以外に自分の呼び名は思いつかない。 在ったのかな、僕に名前。覚えがないや。 「ナノか……」 つぶやいたつもりでも出てくる音は猫の鳴き声だ。 これでも練習してるんだよ?獣型でも人語がしゃべれたら面白そうだし。 あらかたのデータは取った。 産まれたときのこと、研究所に来たいきさつ、実験の内容、僕が逃げ出したとき………。 予定では僕の感情を消して生態兵器として投入するつもりだったらしい。 感情が消せるわけがないのに。 恵まれた環境とは絶対に言えない僕にだって情くらいはある。 意志が在ったからこそ、僕はここから逃げたんだから。 ナノはどうなんだろう。彼は逃げようとは思わないのかな。 トコトコと研究所の薄暗い廊下を歩く。もちろん気配に注意しながら。 すると大きな扉の前に出た。 廊下の一番奥、突き当たりに頑丈な扉があった。 すっごく怪しい。 それになんだか扉に引き寄せられる感じ。この中に何があるんだろう。 騒ぎを起こさずにこの中には入れなさそうだったから、窓のサッシを伝って奥の部屋の様子を覗いた。 小さな窓。子供でさえ通れないだろう大きさで、鉄格子がはまってる。僕なら通れると思うけど。 中は白い部屋で、僕がいたところが思い出された。 白いベッド、小さな机、本棚。 それがその部屋にあるすべて。そして部屋の主は椅子に座って読書をしている。 目が離せない。全体的に淡い色彩の男なのに、何よりも強烈に目に焼き付けられる。 血がざわつく。あの人に触れたいと。 ふと、男がこちらを見た。目を見開いている。 どうしようか迷っていると、おずおずと手を差し伸べてきた。表情は乏しいけど、嬉しそうにしてるにのが分かったからするりと鉄格子の間を抜けた。 とんと床を蹴って男の膝に乗る。少々驚いたのが分かったけど、そんなことどうでもいい。 すごく気持ちがいいんだ。この人と触れてる部分が少しぴりぴりして、それが気持ちいい。 「おまえ……どうしてここに?迷ったのか……?」 かすれた低い声が穏やかにゆっくりと紡がれる。 「綺麗な黒猫だ……」 優しく背をなぜてくれる。そのたびにぞくぞくして背筋がふるえた。 この人は誰なんだろう。 がんばってしゃべってみようかな。 「コ……ンニチ…ハ」 目を見てがんばってしゃべってみた。綺麗な色。淡い空の色に、時折菫色が混じる。 その綺麗な目を大きく見開いてる。ほんとにきれいな色で、つい見惚れてしまった。 「おまえ……しゃべれるのか?」 自分の声が届いたことが嬉しくて、猫の瞳を笑いの形に細めた。 「ハナ…セル。スコシ。」 そうかと言って撫でてくれる。気持ちが良くて、思わず咽喉がゴロゴロと鳴った。 「おまえ、もしかして逃げ出したという実験体か?」 ぴくりと身体が震えた。 「アナタ………n?」 「……そうだ。」 この人が。 マジマジと見つめる。 薄茶の短い髪。目尻の下がった瞳。表情には乏しいけれど整った顔立ち。 この人が僕の同胞。世界で僕に一番近い。 「ナンデ、ボク、シッテル?」 「エマに聞いた。猫のような子供がいると。それが本来の姿ではないのだろう?」 エマ……知らない名前だけれど、こんなに優しい顔で話してるんだからきっといい人だよね! 人型になっても大丈夫かなぁ…… 「ココ、カンシカメラ、アル?」 「監視カメラはない。だが定時に見回りが様子を見に来る。」 だったらそれまでに帰ればいいか。 ゆっくり眼を閉じる。 細胞の一つ一つの遺伝子を書き換える。要は脳という高性能なコンピューターを使ってデータを書き換える作業だ。 nの膝の上で子猫から人間型に変化する。 体毛は皮膚の中に入り込み、四肢がパキパキと音を立てながら伸びてゆく。 この瞬間はあまり好きじゃない。皮が突っ張って張り裂けるような気がする。軽く息が上がった。 眼を開けると、さっきよりもnの顔が近いところにあった。 アハ。すっごく驚いてる。 「改めて、はじめまして。n。」 僕は裸で、nの膝の上。言葉もなく固まってるn。 傍から見たら、何やってんの?って感じだね! ++あとがき++ 2006年3月6日、加筆修正しました。 |