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つい名前が口を出た。 「オリビエ―――?」 「どうした。いきなり倒れたと聞いて驚いたぞ。」 「あ……えぇと、し、ごとは?」 「補佐に押し付けてきた。」 えっ?そんなことしていいんですか? というか、あれ? この人、マジにオリビエですか? 「オリビエ……ですか?」 「それ以外の何に見える。もう痴呆が始まったか?それともその白髪に知能指数を合わせたのか?」 「やっ、髪の色は不可抗力というか…。というか貴方だって髪、銀色…………」 この冷ややかな毒舌。 思わず胸に手を当てて呻いた。心臓にドスッと極太の鍼が突き刺さった感じ。 間違いない、この人はオリビエだ。 じゃあもしかして、ここは三千世界の本の中ですか? 次元の壁を越えてしまったと? しかも、何だか体が、頭が覚えてる。 自分はこの人と近しい間柄な事とか。自分の仕事とか、役職とか。これまでの人生とか。 その瞬間、膨大な量の情報が一気に脳に詰め込まれて、激しい眩暈が俺を襲った。 足元がおぼつかなくなって、くらりと体が傾(かし)いでいく。 床にぶつかることを覚悟したとき、体は硬い胸板に押し付けられていた。 とっさに顔を上げると、スクリーングラスのかけられた美貌がこちらを見下ろしていた。 本当に綺麗な顔だなぁ…… 「オリビエ、」 「まったく。いつも言っているだろう、お前は無茶をしすぎなんだ。もう少し仕事を減らしてしまえ。」 「いえ、でもそうしたら他の医師たちに負担が……」 「どうせお前の功績の影に隠れてうまい汁を吸っているだけの無能者ばかりだろう。そのような下らん虫けらどものためにお前が無理をする必要は無い。」 む、無能者出たーーーーーーっ!! うぅ胸が痛い…。 「む……無能者だなんて………。彼らは彼らなりに一生懸命っ………」 「ここ数年の医師別の医療実績をまとめてやろうか?分かりやすくグラフにしてこの病院の掲示板に貼り付けてやろう。―――そう、明日にでも。准将殿?」 鮮やかな手並みというか余りに心臓を抉る嫌がらせに唖然とした。 オリビエは銀河連邦情報部部長の地位を持っている。故に今彼が口にしたことは、彼がしようと決めたのならば一語一句余すことなく実行に移せることは明白だ。(それが職権乱用だなんて言葉は擦り切れてなくなるくらいに言った。どうせ聞いてもらえない。) (せ、性格悪い……。そんな鬼畜な事を素敵な笑顔で言うなんてっ……!) あぁ。 でもこの人ならコメディ映画を見ながらでも出来そうです。見るのかどうかは知らないけれど。少なくとも自分の記憶の中にはないです、残念なことに。 …そう言えば、某彼女が以前にオリビエを『大変優秀かつ魅力的な最低の人でなし』と評していました。その時は自分たちの息子になんてことを教えているのかと大慌てしたものですが、なるほどさすが夫婦です。理解してますね、かなり的確な評価です。 そういえば先ほどから普通に会話が成り立ってますね。これに関して心配はいらないみたいです。こちらの俺も俺であることに、戸惑いは既にありません。 どちらかといえば、こっちの俺にあっちの俺が入り込んだ感じですね。こっちの俺で変わったのは、あっちの世界での記憶とこの世界の一部の情報が増えたことくらいですか。 「はぁもう………心配してくれるのは嬉しいですけど、貴方だって結構いい年なんですからね?そうそう、貴方にそっくりな息子さん……ルシファードくんは今何歳でしたっけ。お元気ですか?」 わざとオリビエの琴線に触れることばかりを言ってやる。 オリビエは僅かにその秀麗な眉を顰めた。それに心の中でだけガッツポーズをとる。怖いから。精神感応にはまったく意味が無いけれど。 「お前のほうが年上の癖にぬけぬけと……」 「ぴちぴちの19歳に失礼ですね。」 「そうだな。精神年齢は成長が滞っているようだしな。」 というか精神は本当に19歳なんですよね。 「ふふっ、今では貴方のほうが年上のようですね。身長も抜かれてしまいました。」 オリビエは大体30前後に見える。 そう。俺の身長は地球系男性の平均の170の後半ほど。 オリビエは200弱ほどなので、どうやっても見下ろされてしまう。 オリビエの肩に手を添えて、苦笑した。 「昔はよく後ろから付いてきてくれていたのに……いつのまにかこんなに大きくなってしまって。お兄ちゃんは寂しいですよ。」 「お前を兄にした覚えは無いな。ルシファードはお前を兄と呼んでいるようだが。」 「えぇ、本当にかわいらしい……フリーダの育て方が良かったんでしょうね、きっと。」 言外に、オリビエが育てなくて良かったという意味を込めて言ってやった。 目の前の男はその絶世の美貌を皮肉げに歪めた。どんな顔しても綺麗に見える人は人生お得ですね。 「時々、お前がなぜ聖母などと呼ばれているのか分からなくなる。」 「ふふっ、みんなが勝手にそう呼んでいるだけですよ。軍のお偉方も、俺のご機嫌取りのつもりで呼んでいるだけです。」 「お前の存在は中央のイメージをすばらしく良くしているからな。お前がこの病院にいるというだけでどれだけの者がここへ来るか。手放すには惜しすぎるのさ。」 「あと十年もすれば新たなシンボルが出来ますよ。そうすれば私などは必要とされなくなるでしょう。これまでも結構楯突いてきましたし。」 ルシファードが士官学校を卒業すれば、彼は英雄と呼ばれる。 今、それを知っているのは俺だけだけれど。 オリビエがフッと笑った。 珍しく嫌味の無い笑み。 「そうなったら情報局に転任して来い。せいぜいこき使ってやる。そもそもお前の能力の高さはインドアには惜しすぎる。」 ……遠まわしに元気付けてくれているんですかね。 「選択肢が他に無ければそうさせていただきます。でもあと数十年は俺はここに居座りますよ。俺の治療を求めてくださる方がいる限り、俺はここで治療し続けます。」 そう、向こうの世界でも俺は医者を目指していた。理由は極々単純だ。 単純に、目の前で苦しんでいる人を助けたかった。それに一番適当な職業が医者だったというだけだ。 「まぁそう言うだろうと思ったがな。」 「すみませんねオリビエ。」 「いい。謝罪はこちらでもらう。」 その言葉に疑問を持つ間もなく、俺の顎がそれさえも優美なオリビエの指に捉えられた。 唇が重なり、驚いて拳を相手の胸板に叩きつけた。おもわず開いた唇の間から湿った柔らかい舌が入り込んでくる。 「……ふっ…ォ……オリ、ビエッ…!?」 舌が歯列をなぞり上顎をくすぐるたびに、鮮やかな感覚に体がびくびくと跳ねた。俺の反応にオリビエがくぐもった音で笑う。 激しく絡められる舌に呼吸のタイミングが分からず、立てられる水音にだんだんと意識が遠くなってくる。逃げようとする舌を追いかけられ捕らえられては吸い上げられて、より深く探られる。 「……っや、ん………ちょっ……」 突き放そうとしてもオリビエの腕はしっかりと腰にまわって離さない。なにより与えられる刺激に力が抜けて、肩を押していた手はいつのまにか縋り付くようにオリビエの服を握っていた。 膝ががくがくと震えて、自分では立てなくなった頃、チュッと軽い音を立ててやっと唇が開放された。 酸欠でぐらぐらする頭に必死で酸素を取り込む。 「けほっ……はっ……い…いきなり何をっ!」 「謝罪してもらっただけだ。気持ちよかっただろう?」 薄く笑っている顔をキッと睨みつけた。 腰が抜けて顔が真っ赤になっている状態では何の反論もできなかったが。 というかオリビエは男もイケる人種でしたっけ!?からかわれてますよね俺!! あぁでもマリリアードへの執着は並大抵のものではありませんでしたものね! フリーダムもそうですが、オリビエのようなどこまでもゴーイングマイウェイな男に愛されるなんて………素晴らしいと賞賛するべきか、それとも可哀そうにと同情するべきか。 悩むところです。 …二人とも哀れですね。モトは同じであるのですし、当然といえばそうなのですが。 しかしずっと4人で育ってきたというのに、私の扱いだけはぞんざいなんですよねぇ……。やはり顔の出来の違いでしょうか。 「別にお前をぞんざいにしているわけではないぞ。むしろ何よりも大切だ。ただ、フリーダムとマリリアードはこちらで繋ぎ止めんとどこかへ行ってしまうような奴らだった。」 目の前の顔を憮然と睨め付けた。 「…………心を読むなといつも言っているのに。」 「勝手に入ってくるのだ。お前こそ超級の精神感応者(テレパシスト)のくせにいつまでも思考を垂れ流しとは情けない。」 もう何とでも言ってください。というか貴方の前でも気を抜いていてはいけないのでしょうか。 それよりもこの密着状態はいつまで続くのでしょう。 「もういいです。私はまだ仕事が残ってるんですからさっさとご自分の職場にお戻りくださいオスカーシュタイン少将閣下っ。」 半ばやけになってオリビエの胸を突っ張ると意外にも簡単に拘束は外された。 ここぞとばかりにはオリビエの腕から抜け出して、さっさと病室の扉を開く。 「あまり無茶はするなよ。」 この男らしからぬ気遣いの言葉が背にかけられた。 そう、この男はほんの時々優しさを見せる。 それが向けられる相手はごくごく限られているのだけれど。 今日のように見舞いに来てくれたり、気遣う言葉をかけてくれたり。 自分にとってこの男が特別であるように、自分もこの男にとって特別であることが嬉しい。 自分は慈愛と博愛の化身とか言われているけれど、フリーダムとマリリアードとオリビエに向けるものに比べればそのほんの一欠けらだ。 それに最近ルシファードくんが加わったけれど。 「ええ。オリビエも。」 親を知らない俺にとって唯一の、家族と呼べる彼ら。4人でいることが当たり前だった。 この銀河の何よりも、銀河そのものよりも、俺にとって価値があるのです。 亡き友、マリリアード=リリエンスール。 叶うならば貴方と一緒に、新しい家族を見守っていたかった。 ああでも、貴方がきっかけでルシファは誕生したのだから、いつまでも貴方を惜しんでいるわけにもいきませんね。貴方に良く似た、綺麗な黒髪なのですよ。 「今度、俺と貴方と、フリーダとルシファで飲みましょう。」 「ルシファはまだ十にも満たない。」 「集まることに意味があるのですよ。それとも、俺を貴方の家族の中には入れてくれないのですか?」 振り返ってふわりと微笑んだ。 身長差故に下から覗き込むように顔を窺うと、顔を逸らされて溜息をつかれた。 昔からこうすれば、大体の事は聞いてくれたんですよね。 は気付いていないが、彼はマリリアード達とは系統が異なる超絶美貌である。 彼らが刃のように研ぎ澄まされた美しさだとすれば、の美しさはその対極に位置する。 見るものを屈服させ、跪かせるものではない。目に映しているだけで快感と安心を覚える、どこまでも、何もかもを包み込むような美しさ。 青空に浮かぶ雲のように白い肌。月光に煙る銀灰の髪。木々に射し込む朝日のような光を放つ瞳。 その全てが雄大な自然を感じさせる、奇跡のような存在なのだ。 男の雄快さを持ちながら、母の柔らかさも併せ持つ。その膝に縋り付いて弱音を吐きたくなるような―――――。 そうして、はいつしか聖母と呼ばれるようになった。 そのお母さん効果はオスカーシュタイン一家にも有効だ。ルシファードに対しては兄か父のようなものだが。 なんとなく、この眼に見つめられると自分の感情に素直になってしまう。 「……………次の非番を合わせよう。」 努めて感情を窺わせない。 それでもほら、こんなにも(身内には)優しい人なのです。 「では後ほど連絡しますね。」 それこそ奇跡のように優しい微笑みを浮かべたその生き物は、今度こそ身を翻して去って行った。 病室に一人残される形となったオリビエはひっそりと溜息をつく。 (あいつは何も分かっていないな) は自分の価値をまったく理解していない。 その存在がどれだけ周囲に影響を与えて、 そして平等に注がれる優しさがどれだけ狂おしい思いを抱かせるのか。 だからこそだといえる部分もあるにせよ、オリビエは自分以外の何者も彼に手を掛けさせるつもりはない。 マリリアードは既に手は届かず、フリーダムには息子(ルシファード)という楔が打たれている。 「私はお前を手放す心算はないぞ、」 それは、いっそ誓いといってもよい真剣な響きを孕んだ呟きだった。 |