『幻水Tの最後の場面』












「ウィンディ、……ウィンディ。大丈夫だよ、お前の業は俺が持って行くから。ウィンディ…お前とお前の愛する男は来世でまた導かれる。そういうふうに業を組んであげるから。」


死した皇帝と愛する男の亡きがらを抱いた女の額にそっと指を触れた。
触れた指先から闇とも光とも分からぬものが漏れだし、二人の身体を覆っていく。


「業とは罪ではない。人が信じ、思うまま、心行くままに行動した結果に過ぎない。だがそれは次世に影響を与えてしまう。繰り返してしまうんだ。」


探るように動かしていた指を止めて、指先を離した。
希代の皇帝は愛した女の腕の中で息絶え、幾世紀を生きた女魔術師は今まさに息絶えんとし、力無い視線を目の前の青年に向ける。
もしかしたら愛していたのかもしれない、この赦しを与えてくれる青年を。
凍えるほど残酷で、泣きたくなるほどに優しい、この業の継承者を。
……いや、この男は彼女より遥かな時を生きているはずだ。数え切れない程の業を背負いながら。
かつて父のように慕い、家族として共にいた男。

男自身から彼が不死であることは聞いていた。
限りの無い時間の中で積み重ねられた業はいかほど重いものであるのか。無明の中を手探りで歩むような、じわりじわりと迫り来る何かに心(ココロ)を喰われることはなかったのか。

しかし、と思う。自分はこの男と逝くことを決めたのだ。最期の最期に気付けた。汚れた私を愛してくれた唯一の人。


「……わた、私は………そなたが、業を流してくれ…る、のを……期待して、いたのだろうな………」


業の継承者と会えるのは奇跡と言えた。

―――信じられないほどの幸運。

逆に言えば自分は、会ってしまうだけのことを、罪を重ねてきたということ。
この世界で唯一の、業を流せる方法、その存在。
誰もが己の業の浄化を乞い願い、その足元に縋り付く。ほんのかけらの慈悲を願って。


「…業は、業に引き寄せられる。ウィンディの業が俺を、業の紋章を呼んだんだよ。」
「お前の……の業とは……?紋章に選ばれるほどの、罪とはいったい……」


黄昏の美しさの面がくすりと笑った。
温かく、冷たく、柔らかく、硬質に、幸せそうに、寂しそうに。


「それは秘密だ。来世にお前と出会う業が用意されていれば、その時に教えて上げよう。」


はそっとウィンディの頬に触れた。逸らすことを許されない視線が交わり、女は唇が震えるほどの畏怖を覚える。優しげな手つき、眼差し。翠光の、更に奥に存在する何かがそれ以上の問いを拒絶する。


「死の大顎(オオアギト)が、お前たちの業を食み取らんことを願おう。…そして生の大環(タイカン)が二人に流れを赦すことを願っているよ。」


望まぬ問いを拒絶する仄暗い闇。全てを許容する温かい闇。穏やかに安寧に誘う闇。その全てがこの男の本質。それが意味するものは何なのか。生か死か、有か無か。希望なのか、絶望なのか。


「…そなたはまるで神のようだ。全ての運命を握り締め、全てを背負い、全てを赦す。誰もがひれ伏し、縋り付きたくなる男だ、そなたは。」
「……買い被りすぎだ、俺は神じゃない。…………ウィンディがそんなことを言うから、思い出してしまった。」


そろそろ限界のようだ。ウィンディとバルバロッサの身体が砂のようにさらりと溶けていく。


「餞別に、俺の業の一つだけを教えてあげるよ。」


サングラスを掛けなおし、は踵を返した。肩越しに振り返り、未だの背から目を離さないウィンディに囁く。


「俺は神を見殺しにしたんだ。」


それきり振り返らずには城を引き返した。落ちてくる瓦礫を避けつつ出口へと向かう。その姿は闇を纏いながら少しずつ縮み、やがてしなやかな黒猫が現れた。


「やっぱりそう長くは無理か…」


黒猫は優美に尻尾を一振りすると、諦めたように歩き始めた。
この姿はどうも頼りない。人型のほうが便利なのだが仕方が無い。アイン=ジード将軍とあの二人の為に力を使いすぎた。しばらくは猫をするしかないだろうな。
なってしまったものはどうしようもなく、今更この紋章のことをぐちぐち言うつもりもない。


「結構、可愛がってもらえるしな。」