ただひたすら、静かに、静かに、思い続けた。
何故――――と。


コノエには親がいない。
父親はコノエが生まれる前に死に、母親は随分と幼い時分に失躯によって死んでしまった。
親がいないことをつらいとは思わないが、寂しいと感じる時はある。
母が死んだ時季が巡って来るたび、無性に気が沈んで、
そんな時は暗い室の隅に膝を抱えてうずくまった。
寂しい。
少なくとも、母親はコノエを愛してくれていたことを知っているから。季節ごとの思い出にさえ、今は一匹だということが思い知らされて、胸に冷たい風が通る気がした。


親のいない子猫を大人の猫たちは嫌遠し、遠ざけ、その子供もそれに倣ったために、コノエには遊び相手はいなかった。
小さな村は他所者を嫌う。閉鎖的な火楼は戦士の村であり、故に気位が高く、外の猫を嫌う傾向が強かった。数の少ない貴重な雌、そのつがいが顔も知らない他所者であれば猶のこと―――。だが既に二匹は亡く、そのため二匹の子供、コノエが怒りと嫌悪の対象にされたのだ。
常に殺意に近い険のある視線に晒される村は、コノエにとって安らぐ場所にならなかった。
身の安全のために、コノエはよく森へ行き、一日の大半をそこで過ごした。
幼子に優しくない火楼は酷く居心地が悪かったのだ。


母親が残してくれた縄張りは日のよく差し込む、小さな小川の流れる、大地の斜伏に富んだ森だ。縄張りはその家に代々伝えられる、言うなれば財産のようなもの。見回り、侵入者を排除し、縄張りを維持する。さすがにこれを取り上げようとする大人はいなかった。


世界に産まれてから今まで、母と過ごした言葉の覚束ない数年を除いて、ほとんど村で猫同士の関係を作ることのなかったコノエは酷く無口で無表情に育った。
絶えず傍にいたのが表情を表す術のない植物や動物たちであったためだ。
それだけが原因というわけでもないのだろうが(例えば反応に困る悪意の言葉など)、その取っ付きづらさはますます彼を孤立させた。
身嗜みに気をつけるような相手もいなかったので父譲り(母の髪は亜麻色ではなかったのでコノエはそう推測した)の髪を長く伸びるままに背に流し、だが母が服装には気を使う猫だったため、コノエもそれなりに気をつける猫に育った。




コノエは不思議な子猫だった。森を歩けば足下に草花が萌え、美しさを競い誇るように木々は花を咲かせた。森はコノエを歓迎していた。幾匹もの蝶に誘われるままに歩き、コノエはお気に入りの木の根元に座り込むとただそこでぼんやり過ごすのだ。

そのコノエに寄ってくる動物は様々だ。小鳥や鷹、兎に鼠に猪、鹿、熊までがコノエの周りに集まって、思い思いに擦り寄ってきた。
コノエが命じたわけでもないのに、捕食者と獲物の関係であるはずの彼らは決して互いを襲おうとはせず、むしろ熊の背で小鳥と鼠がじゃれ合ったり、鷹と猪が伸ばしたコノエの膝にそれぞれ頭を乗せていたりと非常に不自然な、だが夢のような、奇跡のような光景を見せるのだ。

コノエも彼らを食べようとは思わなかったし、食べられることもないと知っていた。寝そべる熊の鼻先に鼻をくっつけて笑い、柔らかな毛並みの狐を抱きしめてうとうととすれば、ふわふわな草が生えて心地よい寝床を作り上げた。

お腹が空いたら、それを察知したように野苺が生え、枝先に実ったクイムを栗鼠が持って来て、新鮮な鼠や小鳥の死骸をそれぞれの動物が運んで来た。


お礼にコノエは歌を歌った。真っ白い光の旋律。体の奥底から溢れ出す旋律を喉を震わさずに世界に歌った。コノエにとってはそれが歌うということだったのだ。もちろん、母の子守唄は大好きで、二匹で暮らしていたときの母の鼻唄も真似ていたりしていた。けれどこの場所で、世界が喜ぶのは、歌詞ではなく旋律であろう。
―――世界を揺るがす歌。風が木々を暖かく揺らし、猛り狂う火炎はその勢いを収め、大地は一斉に芽吹き、森中の生き物が静まり返ってコノエの歌に聴き入った。世界は彼を慈しんでいた。


それは、村の猫たちには奇異に写ったのだろう。そのあまりに強大な力は、誇らしいものではなく異能として捉らえられた。彼らから見ればコノエは動物を操り、支配しているように見えたのだ。

そしてコノエに魔術の素養が出てしまったせいでもある。眼力と生まれ持つ魔力だけで小さな魔獣を懐かせたのだ。
屈服、とも言われるそれは使い魔を得る行為。術式や呪文を介さず、契約の結びすらなく、見返り無しにコノエの使い魔に納まった。

魔獣にしてみれば、コノエの傍で仕えられること自体が報酬であるのかもしれないが。それが闇に属するものであるのも悪かった。
生れつき火を嫌うコノエは道しるべの葉を好み、夜も暗い家で過ごしていたのだが、たまたま魔獣を呼び出して遊んでいた時に村の大人が嫌味を言いに訪れたのだ。
暗い中で、眼力に宿る魔力はコノエの瞳に、白い焔が燻るような淡い揺らめきを与えた。幼いコノエも魔獣は見せてはいけないものと解っていたので、直ぐさま戻し帰したのだが、一瞬、瞳が光ったところは隠せなかった。

大袈裟に騒ぎ立てた村の猫たちは長老にコノエを突き出した。ちろちろと燻るようなコノエの朱い瞳を邪眼だと断じた火楼一の占い師を兼任する長老は、村の猫たちに命じてコノエの目を潰させた。ある木の実から採れるとろりとした劇薬をコノエの目に流し込んだのだ.
焼けるような眼窩の痛みと発熱に三日三晩苦しみ、コノエは光を失った。盲目となったコノエに同情した村の加治屋は、細身の棒状の鞘の剣を造って贈った。歩く時には地面に点いて、危ないものを避けろということだったのだろう。
コノエの今後の成長を考えられたそれは、今の時点では丈が余る尺の拵えで、ただの棒としての扱いにさえとても苦労した。だが、森がコノエを歓迎し、獣が温もりを与えても、リビカの集団の中でコノエを守れるのはコノエだけなのだ。と、そう悟った。それからはめきめきとコノエは強くなっていった。リビカの中でも、小柄だが瞬発力に優れる戦闘種族“火桜”の特性をこれでもかというほど鍛え、『風切のコノエ』と呼ばれるまでになった。






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