気配を無視しては家を出た。
相手が何かしてくるまでは、手を出すつもりは無かった。
この世界に来てから自分はまだ日が浅く、吸血鬼としての力はほとんど使っていない。
家以外で使ったのは、最初にいた森でゾンビのようなものたちを殺したときだけ。その時一番近くにいたのはアーサーさん。あの時、彼は私が戦っているのを見ていたのか。ではなぜ私に声をかけた?危険だとは思わなかったのか。……いや、今思えばいつもアーサーさんのそばにいるあの2人の人物があんな時間に森の中で1人にするわけが無い。彼らがいたから大丈夫だと思ったのだろうか。それでもさすがに胸を貸すことはないと思うんだけれど……。
は、自分の吸血鬼としての力が人の社会にどれだけ波紋を起こすか理解している。
それを避けるために、これまで記憶を消してきたのだから。
そしてもうしないと決めた。
あの時の、アーサーさんの言葉を信じたい。
フゥと溜息を吐いて取り留めの無い思考をかき消した。
吐く息は白い。
無意識にマフラーに顔をうずめた。雪がちらちらと降っている。
寒いのに、あの時のアーサーさんの言葉が、暖かさが思い出されて。彼の腕の中で泣いてしまったのを思い出した。
小さく微笑む。
きっと今は顔は赤い。
ジークとの約束は昼ちょうど。確か映画館のある通りの広場にある時計塔の下。たぶん昼食を一緒に食べてから映画に行くつもりですよね?
余裕をもって家を出て、は広場へと歩いた。
まだ少し朝霧の名残が残る街をゆっくりと進んでいく。
彼女の姿を見た人間は全て硬直し、そして振り向いた。
彼女の服装はこの時代の女性には珍しく、膝丈の黒いプリーツスカート。青のざっくりとしたセーターの上に丈が長めの白いファー(ホントは毛皮)のジャケットを着て、黒いタイツに白のショートブーツ。そして白いロングマフラー。
…時代に合わせ切れていない。
(仕方ないじゃないですか……っ!あと五十年は待たないと私のファッションセンスは通用しないんですね……これでも少しは妥協したんですが)
はみんなに振り向かれるのはその服装の奇特さからだと思っていたが、そうではない。
ワンレングスの艶やかな黒髪。アラベスクのような白い肌。琥珀水晶の瞳とそれを縁取る長いまつげ。
1つも手の施しようの無い、まさに東西の壁を越えるエキゾチックな美貌の見慣れない少女が普通に街を歩いているのだ。
さらには見慣れない服装。しかし白いジャケットは黒髪に映えてきれいだし、雪の降っている中歩く姿はどこか別世界のように神秘的だ。
実際別の世界から来たのだが。
そしてそれを凝視している男たちもまたに目を奪われていた。
「ああもうっ……!!なんであんなに可愛いんだっ……!!!ああっ僕もくんとデートがしたい………!」
うっとりとした顔で叫ぶアーサー。身体の半分ははみ出る街頭に隠れて(隠れたつもりで)を追跡(ストーカー)している。
そしてに見惚れつつも、そうとう壊れたアーサーを呆れた目で見るウォルターとアーカード。
「………これではいつ気付かれるか、時間の問題だな。」
「………だから今日はアーサー様は来ないように言ったのに……こうなるの大体分かってたし……」
計画は、『くんと男が映画に行く今日、偶然を装ってくんに接近しよう』というものだ。アーサーには別の思惑もあるようだが。
「くそあの男っ……!!この僕を差し置いてくんと映画に行こうなんて100年早いよっ!!……ふふっ、絶対邪魔してやるからね………!」
この言葉だけでアーサーの思惑がどんなものかわからないものはいないだろう。
「またアーサー様が黒い……」
肩を落とすウォルターは、今日は執事服ではなく年相応のカジュアルな格好だ。黒いジーンズに黒いセーター。そして茶色の革ジャケットと皮のブーツ。
「そう気を落とすな。……まあ俺も少々落ち込みたいが。」
こんなに変わるとは思わなかったと、珍しく慰めるようにウォルターの肩に手を置くアーカードも普段の怪しい格好ではなく上等な白いスーツにワインレッドのシャツ。前髪を上げて、長い黒髪を背に流した姿はその長身も相成ってひときわ目を引く。
三人とも系統は違うがそれぞれ見目麗しく、うち1人の奇矯な行動もあってこれ以上ないくらい目立っている。
「これ一応、最重要な隠密作戦なんだけどな………」
苦労性な少年は、灰色の空を仰いで力なく呟いた。