山を降り森を抜けて、二人は結局手を繋いだままなかなか大きな市街地に着いた。


まだ早朝の空気が満ちているそこは、人間がぽつぽつとに活動を始めていた。








「ここまで来ればもう大丈夫です。送っていただいてありがとうございました!」



深々と頭を下げて、アーサーに礼を言った。




「いやいや、こちらこそ可愛いお嬢さんと話せて楽しかったよ。ところでまだ住む場所が決まってないと言っていたけれど、大丈夫なのかい?」



笑顔で朗らかに話すアーサーに、さすが本場ジェントルマンの国と感動していたら、やおら質問されてしまった。


用意していた答えを返す。




「これから一度ホテルに戻って、それから市役所で住民登録をしようと思います。そうです!市役所の行き道教えて頂けませんか?ホテルに戻る前に一度見ておきたいので…」

「え?あ、ああそのくらいならお安い御用だよ!さあ行こうか。」




並んで歩き出した。朝日が街を照らし、霧の中からレンガ造りの家並みが顔を出す。
光の筋が霧の隙間から差し込んでくる。


日本とは違う情緒がそこにはあった。



日本では決して見れない幻想的な光景に目を奪われ、言葉が途切れてしまう。




「どうかしたのかね?」




我に帰ったときにはアーサーがこちらを覗き込んでいた。
長身をかがめて、心配そうな顔をしている。




「い、いえ…こんなきれいなもの、日本では見たことがありませんでしたので……」


「そうか。日本はどんなところだったんだい?緑の多い国だと聞いているが。とても面白い場所にある島国だよね?」


「とてもきれいなところです。四季を通じてそれぞれ違った美しさが見られる。私が住んでいたのは都会に近くて、周りは高層ビルばかりでしたが。一年に四回、一季節に一回は必ず田舎に慰安旅行に行ってました。」




産まれてからの大半をすごした故郷を想い、自然に顔がほころぶ。








を見ていたアーサーは、柔らかな笑顔でで言った。








「君は、自分の国の自然を愛しているんだね。」
























その顔を直視してしまったは心が痛んだ。これからこの優しい人間の記憶から、自分を消すつもりだったから。
表面上では微笑んで当たり障りの無い返事をしたが、頭の中はちょっと迷っていた。




(…どうしましょう…。記憶消したくない……けど後々面倒なことになりかねませんし………)



「お兄様は、」


「ん?何だね?」





「お兄様は、忘れられたらどう思いますか?」


「忘れられる……?」


「自分が関わりのある人に忘れられていたら、まるで知らない人のように振舞われたら。」


そっと俯く。彼にこんなことを聞いて、いったいどうするつもりなのだ、自分は。彼は自分よりも若い子供だというのに。

そもそも、忘れさせているのは自分だというのに。


それでも、忘れられるのはつらかった。





「…そうだねぇ。私ならまず怒って、そして寂しいから思い出させるね。忘れられたほうも悲しいけれど、忘れてしまったほうも悲しいからね。」



「え…?」



「そうだろう?忘れられて寂しいと思われるくらい想われている人間が、その人を大切にしていなかったわけが無いのだから。」




その言葉はじわりと頭に浸透していった。彼は私が何をしてきたか知らず、なのにこんなにも私の心を暖める。でも確かに嬉しいのに、同時に痛かった。私がこれまでに記憶を奪っていった人間たちは、私のことを少しでも想っていてくれたのだろうか。ならば、私のしたことは。




「……以前、私が原因で記憶を失くした方々がいるのです。…………いいえ、むしろ私が忘れさせたのです。」



「君が忘れさせた?なぜだい?どうやって…」



「まあ……、ちょっとした特技です。催眠術に近いものですよ。…事情があったとはいえ、私は彼らの中から『 私 』の存在を取り除きました。」



アーサーと目を合わせて言う。唇を微かに震わせ、私は声を絞り出した。



「………望む資格など無いけれど……私は罪を償えると思いますか……?」
























ああ。君は後悔しているんだね?忘れさせたことを。
寂しいんだ、忘れられたことが。







は唇を震わせながら、必死に言葉を搾り出している。今にも泣きそうに目を潤ませて、それでも縋り付くように目を逸らさない。





「君は後悔しているのだろう?ならばずっと彼らのことを覚えておくんだ。君が彼らを忘れなければ、くんと彼らの人生は確かに交わっていたという事実は消えない。」





の大きな琥珀の瞳から涙が零れ落ちた。
蜜が零れたようなそれ。舐めたら甘いのだろうか。

それをなんだかとても神聖で綺麗だと思う。
華奢な身体をそっと抱き寄せて、耳元で囁いた。











「少なくとも、僕と君の人生は今ここで確かに交わっている。君は一人ではないんだよ。」















声を殺して、身体を震わせて泣き続けるの黒髪を撫でながら、アーサーはただその身体を抱きしめていた。